コーヒーから房総の美味しさが香る

コラム

Ushimaruのコース料理の最後を締めくくるのは一杯のコーヒー。テーブルの上で繰り広げられた感動の余韻にそっと寄り添うその香りは、レストランを流れる時間の速度をも緩やかなものにさせてゆく。

 

料理に限らず、あらゆる物事にもいえることだが、「最後」でがっかりする展開になると、全体の印象に影を落とす。だからこそ、最後の一杯は重要だ。感動の興奮を柔らかに鎮静化させ、歓びの記憶を脳裏に定着させる。そうすることで心地良く店を後にすることができる。

 

そんな役割を演じるのが、房総内陸の城下町、大多喜町にある「珈琲 抱/HUG」の店主、水野俊弥さんが焙煎するUshimaruのオリジナルブレンドだ。その味わいに、打矢シェフも「コーヒーはもう抱さんしかないですね」と太鼓判を押す。

料理に寄り添うコーヒーを

「食事した後に邪魔にならないように心掛けて。コースの一番最後に口にするものだから、下手に目立つ味にすると、コーヒーの記憶だけが残ってしまうことになりかねないから」

 

Ushimaruのコーヒーを手掛けるにあたって、水野さんはそう語る。だがそれは、コーヒーの存在感を消す、ということではない。

 

「コーヒーとしての足跡は残す」

 

例えばそれは、食事を終え帰宅した後に、ふと思い出すコーヒーの美味しさ。Ushimaruで提供されるコーヒーは、料理の華々しい輝きの片隅でほのかに灯る光…だけれども、思い出す度に必ず光を放つ、そんな絶妙な存在感なのである。

 

抱のコーヒーは流行りの豆、奇抜な目新しいものというよりも、「どういうコーヒーでありたいか」というところに照準が定められているに過ぎない。美味しさとは、単に目立つこと、分かりやすいことではない。料理、そしてレストラン全体としての満足感があって初めて真に美味しいと言える。そこに気付かせてくれるのが、このコーヒーである。

Ushimaruで提供されるコーヒー(左)と、とある日のコースの一部に振舞われた「抱」のエスプレッソと「チーズ工房 千」のチーズとのマリアージュ(右)

抱のコーヒー豆は半月に1回のペースでUshimaruに届けられる

里山の喫茶室と焙煎室

中房総のなだらかな山並みに囲まれた田園風景が広がる大多喜町。国道から田んぼの脇の小道を集落の中に向かって進んで行くと、やがて抱の喫茶室に辿り着く。農家の古い納屋だった建物を改装した、落ち着いた佇まいだ。

 

ハンドドリップで淹れられたコーヒーを、スイーツとともに味わう。クラシックのBGMに身を委ねていると、不意に鳥のさえずる声が聞こえてきて、コーヒーのアロマと房総の自然とがシンクロする。そうして心地良く、全身の感覚が刺激される空間にいられることに、嬉しさがじわりと込み上げてくる。特に私は、夏のヒグラシが音色を奏でる時間帯が最も印象に残っている。

 

喫茶室の隣、母屋には焙煎室がある。その部屋に鎮座するのが手回しの焙煎機である。

 

「必要な時に、必要なものを、必要な分だけ」

 

焙煎に対してそうしたスタンスを貫く水野さん。マイクロロットのコーヒー豆…つまり、生産地において誰がどの畑で栽培したかまでをトレースできるコーヒー豆を、少量単位で信頼の置ける人から仕入れる。それをこの焙煎機で少しずつ焼いているからこそ成し得る、その姿勢である。

そしてその心構えは、

 

「何が美味しいか、という軸を決めてくれた」

 

と水野さんが振り返る、師の仕事に向き合う姿勢…かつて東京・青山にあった大坊珈琲店の大坊勝次さんのコーヒーの本質に迫る眼差しが、受け継がれていることの証なのかもしれない。

大多喜町にある抱の喫茶室。里山の静寂に包まれた空間で、ゆっくりとコーヒーを味わいたい

焙煎作業中の水野さん

揺るがぬ信頼関係

Ushimaruの打矢シェフ、マネージャーの鈴木さんと、抱の水野さんとの出会いは、十数年以上前にさかのぼる。

 

「タルマーリー(※)の渡辺さんと仲良かったので、Ushimaruでパンを売ってたこともあるんです。その渡辺さんにイベントに誘われて、抱の水野さんと知り合ったんです」

 

と、当時を振り返る打矢シェフ。水野さんもその時のことをはっきり覚えている。

 

「シェフがイノシシのソーセージを焼きに来てて。イベントが終わって打ち上げの時に、鈴木さんが『これからうちは千葉県産の食材にこだわっていきたいんです』って話しに来てくれて。そこからずっと途切れることなくお付き合いが続いてるんです」

 

十年来の積み重ねられた美味しさの信頼関係は、そう簡単に築けるものではない。実はこうしたところに、Ushimaruの揺るがぬ魅力が隠されている。

 

なお、両者が出会ったイベントは現在、「BOSOスターマーケット」という房総の魅力を発見し、楽しむマーケットへと進化。水野さんが運営に携わっている。自身の店にとどまらず、房総という地域に輝く手づくりのもの、作り手たちの魅力を伝えたい。それをマーケットや喫茶室という場で実践する水野さん、料理で表現し続けるUshimaru。表現の手段は違えど、千葉・房総の作り手のことを思う気持ちは両者ともまったく同じなのだ。美味しさの中に宿るそんな心意気。粋な仕事ぶりを、じっりと堪能したい。

現在、不定期で行われている房総スターマーケット。飲食店はもちろん、農家やものづくりに携わる人など、様々なつくり手たちが集う。                                                 https://www.facebook.com/BOSOStarMarke

※ 鳥取県智頭町にある天然酵母パンの店。『田舎のパン屋が見つけた「腐る」経済』(講談社)が知られている。かつて千葉県いすみ市に拠点があった

 

  • 「珈琲 抱/HUG」

千葉県夷隅郡大多喜町堀之内407

OPEN  12:00〜17:00

CLOSE 月・火曜定休(月曜が祝日の場合は営業)

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「取材・文・写真:暮ラシカルデザイン編集室 沼尻亙司」

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